2010年5月28日金曜日

二つの祖国(身体の意思 頭の意思)




癌を体験して、考えた。人間とは?生命とは?進化とは? ... このフレーズは『桃色吐息』で書きましたが、自分は何処から来て、何をして、何処へ行くのか?そして自分は何者なのか?こんなアホみたいな事を癌になってからズーット考えてきました。腹が減ったら、食べて、排泄し、遊んで、仕事をして、眠くなったら寝付きました。これらの行動は全て自分の意思であり、そして、なんら不自由も疑問も感じませんでした。癌になる迄は・・・・・・。
そう、自分の『意思』どおりに手足は動いてくれましたし、景色も映画も観たい時に見られました。
でもそんな頭の意思とは全く無関係にある『身体の意思の存在』に気付きました。それは、もう一人の自分の存在の発見です。極アタリマエの事ですが、自分の意思とは無関係に胃腸も心臓も働いているし、拒絶反応では脳の意思以上に自分の存在(アイディンテティ)を主張します。これをハッキリ意識させられたのは入院中に全く偶然に手にした1冊の本です。『免疫』とありました。
免疫は願わなくても自分の身体を守ってくれていましたし、胃や腸も、脳の意識的な命令は必要ありません。逆説すれば体内は全て脳の意思には従いません。この文脈の流れに沿うならば、もう一人の自己の存在を認めざるを得なくなって来ますが・・・・。これは決して受け入れられ無いテーゼなのでしょうか(実は未だに模索しています。)

病や癌も末期になり、治癒生存を願う自分の意思とは真逆方向へ進行するもう一人の自分の意思の存在。最早、この存在を認めるべきなのか?身体の自己をも尊重すべきなのか?この『脳の自己』と『身体の自己』とのコミニュケーションが出来ない我々は、医学に依存すべきなのか?身体の自己を認めて別の方向を模索すべきなのか?・・・・退院までにガンバッテ考えたいと思います。

山崎 豊子様 ファンです。『二つの祖国』題名お借りしました。ご笑諾下さい。 INA Takasi

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